鎌倉時代のラテン語?
神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入ることはべりしに、はるかなる苔の細道を踏み分けて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉に埋もるる懸樋のしづくならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに住む人のあればなるべし。
いきなりの古文で失礼します。これは徒然草第11段、「神無月のころ」の出だしの一節。学生時代に習った人も多いのでは。現代語訳は省略させていただいて、関係するのは太字の「閼伽棚」(あかだな)というところ。
実はこの一節、私の記憶に強く残っている。高校時代に習ったのだが、その時の古文の先生がしてくれた説明に感銘を受けたからだ。
「閼伽棚」というのは、仏に供える水や花などを置く棚のこと。この「閼伽」というのは、ラテン語で水を表すアクアから来ていると思われる。
鎌倉時代とローマ帝国の言葉に関係があるとは!!それまで、日本という島国、それも当時の文化圏の限られた地域の視点で見ていたものが、一気に国際レベルになる感じがした。また、言葉というものが、国を超えてつながっていることにも大きく感動を覚えた。
それなのに・・・
実は閼伽とアクアは全く関係ないらしい。調べてみると、どうもこれは俗説のようで、語源となっているのはサンスクリット語とのこと。そのうえ、水とも関係ないようで、ちょっとがっかりしたところです。
勝手に思い込んで感動する、、、まるで徒然草第52段の仁和寺の法師だ。(本殿を拝まずに山の途中で帰ってきちゃう人の話)
で、今回どこもイタリア語になるほどしていないのですが、「水」に関するイタリア語は、別口で書きたいと思います。
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